映画『ゲド戦記』が子供を怖がらせ、大人をつまらなくする理由

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こんばんは、原田です。

 

この前の金曜ロードショーで、

ジブリの『ゲド戦記』が放送されていて、

二年ぶりくらいに見て今回が二回目でした。

 

で、この映画はジブリ映画としては珍しく、

「子供を怖がらせ、大人をつまらなくする映画」

だと思える人も多いと思います。

 

ジブリ映画の中で、この映画ほど評価が分かれる

(しかも悪い評価がある)映画は他にないと思います。

 

もちろん、中には、

「この歌を聞いただけで涙が出てくる…」

というコメントもあるんですけど、多くは、

「何が言いたいのかわからない」

「クモ(カオナシに似ている悪役の魔女)が怖すぎる…笑」

「主人公がさえなくて勇気がもらえるものではない」

みたいな感想があります。

 

 

実際、僕も一回目を見たときは、

「何だこの映画。ジブリっぽくないな…」

っていうなんとも言えない感情がありました。

 

当時は、「死と生」についてしか見れなくて、

「死ぬことを恐れていたらちゃんと生きれないよね」

っていう感じの感想だけもっていました。

 

 

で、この映画について解説というか、

今の僕の視点で話していこうと思うのですが、

 

まず、簡単に物語を説明すると、

主人公のアレンは「冴えない主人公」です。

 

何かと元気がなくて、

ルフィとは真逆の性格をしていて、

「お前、それでも主人公か!!」

ってツッコミたくなります。

 

まぁのび太みたいな主人公はいるし、

そういう主人公だからこそ物語が面白くなる

っていうのは、前に書いた記事で話しましたが、

まぁとにかくアレン君は元気がないのです。

 

そこに、大賢人と呼ばれるハイタカ(ゲド)が現れて、

アレンを救って新しい世界を見せていくのですが、

そこに「永遠の命」を求めるクモ(魔女)が現れて、

アレンを利用して、永遠の命を得ようとするという物語です。

 

 

実際は、原作があって原作はもっと深いらしくて、

「映画オリジナルの設定がひどい…」

なんて原作の作者からは言われていたりするみたいです。

 

 

 

・・・という話はおいておいて、

この映画でテーマになっていることは、

 

「光と闇の統合」

 

です。

 

 

この映画では、

・光=生

・闇=死

として進んでいきます。

 

クモ(魔女)は典型的な悪役で、

「永遠の命さえあれば…!」っていう奴です。

 

でも、自分の中で、

「闇(死)」を恐れて、闇から目を背けていては、

「光(生)」をきちんと受け取ることができなくて、

結局、闇と光は共にあるものだと大賢人のハイタカが言います。

 

 

クモも凄い魔女だったのですが、

そのエネルギーの使い方を間違えて、

悪い方向に使ってしまったんですね。

 

大賢人ハイタカは、こんなようなことを言います。

「この世に永遠に生き続けるものなどありはしないのだ。自分がいつか死ぬことを知っているというのは、我々が天から授かった素晴らしい贈り物なのだよ。わしらが持っているものはいずれは失わなければならないものばかりだ。苦しみの種であり、宝物であり、天からの慈悲でもある。わしらの命も」

 

 

ふむふむ。

 

僕はアメリカを旅したとき、

結構、自分の死を近くに感じた経験があり、

(まぁ当時の自分の無謀な行動の結果です。笑)

こういう言葉も自分に響きますね。

 

 

で、今日話したいことはここから。

 

この映画の中でテーマになっている

「光と闇の統合」というのは、生と死に限らず、

人生の中で必ず誰にでもテーマになることなのです。

 

 

たとえば、闇というのは何も「死」だけではありません。

 

闇というのは、簡単に言うと、

自分のエネルギー状態が低くて、周りからエネルギーを奪ってしまう時期

のことです。

 

これを「ダークサイド」と呼ぶ人もいますが、

スラムダンクの三井で言えば、不良の時期のことです。

 

 

ほとんどの人は、人生の中で一度は闇といえる時期を経験します。

 

ただ、その闇から目を背けて、

ただ否定しているだけだと何も生まれず、

大切なのは、光と統合することです。

 

光と統合しないと、クモみたいになっちゃいますからね。

 

「永遠の命をーーーー!!」

って言って、光だけを求めた結果が、

子供が悲鳴を上げてトラウマになる例の姿です。笑

 

 

だから、光だけだと駄目なわけですね。

 

そして、この映画にもあるように、

闇の世界から光の世界に行くには、

自分の力だけではなくて、他者の力が必要です。

 

それがアレンにとっては、ハイタカでした。

 

 

ただ、ここから落とし穴があって、

光の世界を知ったとしても、クモのように、

今度は、他人が闇の世界に引き連れることもあります。

 

「光の世界よりも、こっちの方が力を得られるぞ。さぁ来い!」

という感じ。

 

これは色んな漫画とかでありますよね。

 

 

これがアレンにとってのクモだったわけです。

 

クモは自分の野望(不老不死)を得るために、

アレンを利用しようと思っていたのですが、

そこで、出てくるのがこの映画の第二のキーワード。

 

 

「名前」です。

 

この映画の中では、

本名を相手に知られると、相手の意のままに操られてしまう

という設定があります。

 

なので、アレンは最初、クモに本名を教えてしまい、

クモの思うがままに操られて闇に入りかけました。

 

で、そこで出てきたのがハイタカとテルーで、

テルーがアレンの影と話すシーンがあるんですが、

そこで、本名をテルーに伝えて光の世界に戻れて、

その影(光)が本来の身体に戻ったことで、エネルギーが満たされて、

アレンは闇の世界から解き放たれていきます。

 

 

で、なんで「名前」がキーなのか?

 

というと、これは今僕らが生きている社会でも、

同じように「名前(本名)」がキーになっているからです。

 

今は、SNSなどを使って、

自分の本名を出さずとも偽名で何でもできます。

 

これで闇といえるような世界に入る人は、

たとえば、自分の名前を使わずにアカウントを作って、

それで、自分の闇となる部分を発信しているという人ですね。

(ニックネームが悪いとかそういう話ではありません)

 

あくまで一例ですが、結構こういう人はいます。

 

中には、自分の闇の部分を発信することで、

それで一定数の人を集めている人もいます。

 

 

たとえば、

自分が過去に誰かと比較して劣等感を感じたりして、

それに関して誰かとか社会をただ批判していて、

同じように、社会とかに不満を持っている人が集まってくるという感じ。

 

ただ、これはエネルギーの源泉が「闇」なので、

集まってきている人も自分の闇を認めてもらいたいから集まっているだけで、

そこで同じように文句を言っていても、結局、何も変わりません。

 

 

だから、光が必要になるというわけです。

 

で、ここからがもう一つのポイントで、

「光と闇を統合したら、光だけの時よりも輝く」

ということ。

 

これが最後のアレンです。

 

アレンは一度、闇の世界に入り、

その時は明らかにエネルギーが低かったのですが、

そこから色んなことを経て、光の世界を知ったら、

その「-100」が「+100」に変わりました。

 

だから、単に光だけを求めている(クモ)よりも、

闇の世界と向き合って、闇のエネルギーを光に転換できたアレンの方が輝いていて、

クモはアレンと対峙したとき、アレンが眩しすぎて負けます。

 

 

人間、嫌な過去は忘れたいものです。

 

忘れて次に進むことも時には必要ですが、

その過去をただ否定しているだけだと、

それは、死を受け入れないクモと同じ状態。

 

忘れたい過去も、今から見て「再定義」するのが大切です。

 

再定義というのは、今から見て、

「ああ、あの時はこんなことしたけど、今なら違うな」

という学びに変えたり、

「あの時の自分は駄目だったけど、あのお陰で今があるな」

と今に対してエネルギーを注ぐとかです。

 

 

そうやって、

闇のエネルギーをプラスに変える

というのが「光と闇の統合」です。

 

統合した方がエネルギーが高まるというのは、

漫画『鋼の錬金術師』の「賢者の石」の記事で話したとおりです。

 

 

だから、闇が深い人ほど、

光の世界を知ったら、エネルギーが高まります。

 

闇というものは、

人によっては、親からのひどい仕打ちを受けた過去だったり、

穴に入りたくなるような大きな失敗や後悔だったり、

他人に対して怒ったり周りが見えなくなった経験だったり、

色々人によって変わってきます。

 

 

その闇をただ否定するのか。

 

それとも、受け入れて、

光のエネルギーに転換するのか。

 

 

その差はどれくらいかというのは、

映画『ゲド戦記』を見たらわかります。

 

クモのようになるか、アレンのようになるか。

 

 

そして、最終的には、

闇と光を統合できた人というのは、

人に対して大きな影響を与えられるようになります。

 

闇と光を統合できると、エネルギーが高まります。

 

エネルギーが高いということは、

「位置エネルギーが高い」ということなので、

高いところから全体を俯瞰することができるので、

自分と同じように闇に入ろうとしている人に対して、

「そのまま行くと(過去の自分みたいに)闇に入るから、行っちゃ駄目だよ!」

ってアドバイスができるようになったりします。

 

その結果、光の世界が広がります。

 

 

映画の中に出てくるハイタカは、

大賢人と呼ばれていて役目が、

「世界の均等を保つこと」

なのです。

 

だから、光と闇を統合した人、

闇を経験して受け入れた人は、

世界の均衡を保つことができるし、

それがその人にとっての役目になるってことです。

 

 

だから、ゲドはアレンもテルーも、

沢山の人を救っているから沢山の人から慕われて、

どんどん世界を明るく面白くしているワケですね。

 

 

闇の時期は決して悪いことではなくて、

自分の捉え方次第で、大きなエネルギーにもなります。

 

闇からの誘いにも負けず、

本名(本来の自分)を取り戻して、

闇と光を統合してエネルギーを高めて、

そのエネルギーを周りの人に与えて、

自分も周りの人も、明るく面白くしていく。

 

 

そんな「大賢人」に自分もなりたいし、

そんな人が増えたらもっと面白くなるなぁと思います。

 

それが「教育」でもありますね。

 

 

子供が『ゲド戦記』を見て、「怖い」と思うのは、

クモの容姿が怖いっていうのはもちろんあるけど、

(あれは確かに怖すぎる描写です。笑)

それ以外にも「闇」っていうのが描かれているからだと思います。

 

闇なんて子供の頃はほとんどありませんからね。

 

大人がゲド戦記を「つまらない」というのは、

「生と死」という視点だけでしか見ていないからか、

まだ闇といえる時期を経験していないからかもしれないですね。

 

逆に、闇を経験した人ほど、

あの映画は「わかるわかる」って感じになるかもしれません。

 

 

 

映画『ゲド戦記』、是非見てみてください!

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